わたしの知る限りの有名なデザイナーの方々は皆さん、50、60代になっても美を追い求めることが好きな人ばかりです。 時にはしかし目をあげることもある。 ndl. 人々はどうして自分たちが一つの芸術作品を賞めそやすかを知らない。
7「一種の予防手段ですよ、だんな。
夕食後のホテルの前庭で大道芸を披露する流しの一団に、宿泊客たちは拍手喝采の大盛り上がり。
銀いろにちらちら光る大気の青みの下には、ばらいろの帆布が浜小屋の前に張り渡されて、その帆布のつくる、くっきりとくまどられた影の班点のうえで、人々は午前のいくときをすごしていた。
ベニスの町で疫病に犯されたのはアッシェンバッハの方でした。 そして早くも形づくられた感覚に、苦もなく心を動かされながら、ある新しい感興と混乱、感情の 晩 ( おそ )い冒険が、旅にあるこのなまけ者のために、あるいはまだ取っておいてありはせぬかと、自分の厳粛な疲れた心をぎんみしてみた。
27しかしその同じせつなに、かれはこのさりげないあいさつが、自分の心の真相の前に、力なく倒れて沈黙してしまうのを感じた。
なぜなら、夕日にむかってまぶしさに顔をしかめているせいか、または顔つきがいつでもゆがんでいるせいか、ともかくかれのくちびるは短かすぎるように見えたからである。
かれは広壮なホテルへ裏側から、庭に面したテラスからはいってゆくと、大きなロビイと玄関口をぬけて、事務所へ行った。
最後の見納めとばかりに 海辺に立つ少年を眺めていたアッシェンバッハ。 かれらは時代の英雄たちである。 するとこの東洋ふうの寺院の簡潔な華麗さが、ずっしりとかれの五官の上にのしかかってきた。
15きみはじょうずにこいで行ってくれる。
もしきみが、わたしの行こうとも思わないところへ、わたしをつれてゆくのならね。
そしてこれまでは、眠りや栄養やまたは自然のさずけてくれた、あらゆる新鮮な力を、すぐに一つの作品に消費してしまうのが常であったのに、こんどは、太陽と余暇と海風の供給する、毎日の元気を、おうような不経済なやりかたで、ことごとく陶酔と感覚に使いつくしてしまうのだった。
さしせまった再出発が心をおちつかせないので、かれは存分にはねむらなかった。 かれは自分にむかって、決心したと宣告して、それから立ちあがった。 香煙がもくもくと立ちのぼって、祭壇のろうそくの弱々しい小さなほのおを、もうろうと押しつつんだ。
9同時にビョルンは「世界一の美少年」というキャッチフレーズと共に衆目を一身に集めることになったが、それは彼の真に望むことではなかった。
しかし十五分もたつとすでに、かれは、自分の知る限りでの最も味わいがいのあるこの境遇を、こんなふうに心で見すてて、つまらない仕事で 逸 ( いっ )してしまうのは、もったいない気がした。
平野啓一郎さん(以下、平野) 映画『ヴェニスに死す』の原作で、主人公は自分の中に美に対して傾斜していくような危うい部分があるのですが、日々自分を抑制し、なんとか日常のバランスをとってきた作家なんです。
かれは空模様を見ようとして、かり立てられるようにそとへ出た。 そのせつなに、偶然、タッジオがガラス戸から入ってきた。 かれは荷物を水浴ホテルへ持ってゆくようにさしずすると、その手押車のあとについて、並木道を通って行った。
16そして自分の作品には、火のごとく生動する気分の標識が欠けているような気がした。
しかしあのめかしこんだ老人が、いつわって青年たちに 伍 ( ご )していた結果、どんな様子になってしまったか、それはじつに不愉快なながめだった。
「みじめな男」についてのあの有名な物語は、その柔弱な愚劣な半悪党の姿に具体化されている。
そして旅の男は、さぐりながら、考えこみながら、その群にまじって立っていた。 かれはのるつもりでもあり、またのるつもりでもなかった。
彼は少年のあとを追い、少年をつけまわした。
「しかしおまえにすすめるが、クリトブロスよ、」とかれは微笑しながら思った。
とはいえ、やはり著者38才と円熟した時期の作品として【描写の美しさや構成のバランス】はやはり流石だと感じさせられ、妻や子といった家族を伴ったヴェニス ヴェネツィア 旅行で実在のポーランド美少年に夢中になっていた著者の姿を主人公に重ねて、本書は作家としての【計算的な背徳さ】だったのか?あるいは個人として小説として発表せざるを得ないほど【切実な秘めた想い】だったのか?などと色々と考えさせられました。
さよなら、タッジオ、とアッシェンバッハは思った。 Renewed 1999 Warner Bros. アッシェンバッハは思い出したのである。 温泉島が見えてきた。
そして美しい少年を、表面上は気にもとめずに、やりすごしてしまう。
孤独はしかし、 倒錯 ( とうさく )したもの、不均衡なもの、おろかしいもの、ふらちなものをも、また成熟させるのである。
それは模範的で固定したものへ、みがきのかかった伝統的なものへ、保守的なものへ、形式的なものへ、型にはまったものへすら、変って行った。
ひるがえって、 社会における芸術家の役割というのは、深淵にある真理をかれらの作中にほのめかし、認識能力に優れた生徒へゆるやかに知らしめることにある。 もちろんどんよくというものは、すでに青年時代のかれによって、才能の本体であり最奥の素地であると見なされていたのだし、そのどんよくのために、かれは感情を制御し冷却させていたのだ。 という内容になっています。
4そういうわけで、かれは、むこうの席で待たれている朝寝の少年が入ってきたとき、まだそこに居合わせたのだった。
これは自分の顔をすこし暗くしてから、ふたたびあたりを見まわしたら、あるいは制止することができるかもしれない、とかれは思った。
するとかれらは沈黙した。