原爆死没者納骨名簿を掲示、広島 遺族未判明814人

仁一さんは戦後に再婚。 外出が困難になった上、発声も不自由になり 、原爆供養塔への日参や語り部としての活動を終えることとなった。

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原爆死没者納骨名簿を掲示、広島 遺族未判明814人|秋田魁新報電子版

このニュースを聞くとき、原爆で無念のうちに亡くなった方々の縁つながりの方が一人でもわからないかとの思いがつのり目頭が熱くなるのですが、恥ずかしい事に(わたしは)2006年から報道の内容をきちんとみるようになりましたが、2006年が826名の方々だったのが今(2009)年は820名となっていました。

原爆供養塔

4-5• 例えば、佐伯さんは、肉親を探しているとき、自分の家族のことばかり考えて、まだ虫の息にあるほかの誰かの体を踏みつけながら歩いたことを、自戒をこめて語っています。 昨年3月末時点で判明している45年末時点の死者数は8万9025人。

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未解明の原爆犠牲者を追う【寄稿】 中国新聞社・金崎由美氏|取材を振り返る〖寄稿〗|ジャーナリズムの力|日本新聞協会

2017年10月5日閲覧。 13体以上とみられ、その後に山口県原爆被爆者支援センターゆだ苑が建てた「原爆死没者之碑」に納められた。

原爆死没者納骨名簿を掲示、広島 遺族未判明814人|秋田魁新報電子版

約14万人とされる「原爆死没者」でも、「被爆者」でもない。 (昭和14年)に結婚して佐伯姓となり、翌々年の(昭和16年)に長男が誕生した。 「約7万体」のごく一部ではあるが、名前のある遺骨も地下納骨室で眠っている。

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佐伯敏子 (反核運動家)

広島平和記念公園では、佐伯に倣った主婦たちがボランティアで原爆供養塔の清掃活動や慰霊碑のガイドを行なっている (2016年現在 )。

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2a17e 原爆供養塔納骨名簿・遺族者捜し

(昭和55年)にの松原市立布忍小学校が修学旅行で佐伯のもとを訪れた際、同校の音楽教諭・中島智子によれば、佐伯は「体験を誇張して語る被爆者もいる」「作り話にしてはいけない」「真実を話さなければならない」といって、自室の壁面はすべて本棚で、床から天井に至るまで原爆関係の資料がびっしりと詰まっていたという。 ポスターは区役所やJR広島駅前など市内の192カ所に掲示。

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佐伯敏子 (反核運動家)

近くの原爆供養塔を訪れ、静かに手を合わせた。 広島市西区の大木久美子さん(61)は今月13日、10月末に91歳で亡くなった父・高橋久さんの遺骨を先祖代々の墓に納めた。 100-103• 「子供二人と妹を道連れにしたことは、悔しくて悔しくて堪(たま)らない。

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